ユースホステルとカニ族、そしてワイド周遊券 :: 管理人Danのサンディエゴ日記
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2008/07/15 :: DELL INSPIRON
買っちゃった、、、
DELL INSPIRON
いわゆるパソコン。DELLのアウトレットで。
買ったのはいいが、仕様がよくわからない、、、わかっているのは、DUAL COREのCPUと2GBのメモリーが入っていることくらいか、
Windows Vista HOME Premium
いままでノートPCを使っていたので、腹の上で寝ながら操作できたが、デスクトップなので、腹の上とはいかない、、、今はキーボードだけ腹の上で、モニターはベッドサイド。いちいち横を見なければならないので、首が疲れる、、、(デスクトップなんだからデスクで使えばよいのだが、ベッドの上に慣れてしまったので、このスタイルは変えられないのだ。)
ということで、打開策はこれだ!
!!$photo1!!
テーブルにモニターやスピーカーを固定してオーバーベッド ゥゥゥ 欲しい、、、
買っちゃった、、、
DELL INSPIRON
いわゆるパソコン。DELLのアウトレットで。
買ったのはいいが、仕様がよくわからない、、、わかっているのは、DUAL COREのCPUと2GBのメモリーが入っていることくらいか、
Windows Vista HOME Premium
いままでノートPCを使っていたので、腹の上で寝ながら操作できたが、デスクトップなので、腹の上とはいかない、、、今はキーボードだけ腹の上で、モニターはベッドサイド。いちいち横を見なければならないので、首が疲れる、、、(デスクトップなんだからデスクで使えばよいのだが、ベッドの上に慣れてしまったので、このスタイルは変えられないのだ。)
ということで、打開策はこれだ!
!!$photo1!!
テーブルにモニターやスピーカーを固定してオーバーベッド ゥゥゥ 欲しい、、、
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└ ME TOO at 2008/09/25 13:47:52
└ ME TOO at 2008/09/25 23:41:52
└ Dan at 2008/09/26 0:12:51
└ キリン at 2008/11/04 0:42:15
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2008/10/21
ユースホステルとカニ族、そしてワイド周遊券
[ひとりごと]
ネットのニュースで「痛車」の記事を見た。車の外装に『漫画・アニメやゲームなどに関連するキャラクターやメーカーのロゴをかたどったステッカーを貼り付けたり、塗装を行った車あるいはそのような改造・・(Wikipedia)』を施すというものらしい。個人的にはこういうのは結構やってみたいと思うが、女房・子供は反対するだろうから、きっとできないだろうなぁ、、
などと、「痛車」についてWikipediaなどをちらちら見ていたら、サブカルチャーのなかに「カニ族」というのが掲示してあった。また新しいのが出てきたのかなと思ったら、なんと俺のことだった!
「カニ族」とは、『大型リュックサックを負った旅装、およびそのような出で立ちの者たちを指した日本での俗称。』で、『1960年代後半から1970年代末期にかけ、登山者や、長期の低予算旅行をする若者に多く見られた。・・(Wikipedia)』
俺は、高校・大学の間、結構、貧乏旅行に出かけたものである。高校一年の時に海水浴に友達と泊りがけで行ったのが最初で、その時に初めてユースホステル(YH)というのに泊まった。当時(安全に、かつ)安く宿泊できる宿泊施設が少なかったこともあり、その後、頻繁に利用することとなる。
当時は学生ということもあり、金銭的に余裕がなく、移動もJR(当時は国鉄だな)やバスを利用したものだ。遠くへ行くにはどうしても国鉄を利用しなければならなかったが、当時、「ワイド周遊券」というのがあった。2週間だか20日間だか忘れたが、指定地域の『急行自由席』乗り放題であった。(当時は急行がたくさん走っていた。)これで目的地との往復と滞在地での足は確保できたのである。
時刻表と旅行ガイドブックとにらめっこしながら、道程を決め目的地のYHを予約し、、、、リュックサックに荷物を詰め込んで。もちろん、リュックサックは登山で使うような(昔使っていたような)横長のでかいやつである。
夜行の(寝台ではない)急行列車に乗り、目的地へ。例えば北海道。青函連絡船で函館へ。その時は宿泊時刻には早すぎたので、札幌までまた急行に揺られる。札幌郊外のYHに泊まる。翌日札幌観光。その日の夜に夜行に乗って、(宿泊代をセーブしつつ)、釧路あたりまでいく。・・・YHに泊まる・・・観光する・・・夜行に乗る・・・YHに泊まる・・・(宿泊代を浮かすために)無駄に乗車距離が長い、行ったり来たりの道筋を辿って、北海道を廻ったりしたものだ。
また、特に北海道では、ヒッチハイクなどもかなりやったと思う。ヒッチハイクを見込んでいたわけではなく、交通費を節約しようと、観光地などでバスにも乗らず、テクテク歩いていると、地元の人が「どこに行く? 乗っていくか?」と拾ってくれたのである。(今考えると見ず知らずの人の車に乗るなど無用心極まりないが、当時はそんな心配をしたことはなかった。)目的地まで送ってくれるばかりではなく、近所の観光名所なんかも案内してくれたり、挙句の果ては家で晩飯までご馳走になったこともある。なんともうれしい話だった。
Wikipediaなどを読んでみると、当時YHの絶世期だったようだ。確かにいたるところにYHはあったし、新築・新設情報なども頻繁に出ていた。新しいペンション風のYH、牧場の中のYH、お寺の宿坊のようなYH、民家の一部のYH、連れ込み旅館のようなYH、、、、今のように情報があふれていなかったこともあり、行ってみてのお楽しみでもあった。夜はペアレントさんやヘルパーさん、他のホステラーさんたちと交流会などもあり、色々情報交換などもした。(実は俺はこういうのが苦手だったのだが、回を重ねるうちに慣れてしまっていた。)ペアレントさんの人柄が結構でるので、当たり外れはあるのだが、そういう時はホステラーが逆に盛り上げたり。屈斜路湖の近くのYHではヘルパーにどうだと誘われて、グラグラとしてしまったりもしたことを覚えている。(もしそこでヘルパーを始めていたら俺の人生、ぜんぜん違うものになっていただろうな。)
こぼれ話(1)
同級のコと「カニ族」旅行に行ったときの話。ユースホステルがどうしても予約できない日があった。仕方なく駅前の観光案内所で安い旅館を紹介してもらった。YHのときと同じ要領で「男1人、女1人」と予約の電話をいれたのだった。なんとなく違和感のある電話対応だったのだが、泊まれるという安堵感で気にもしていなかった。だが、旅館について案内された部屋は、そのコと相部屋で、かつ妙にピンク色の照明の施された和室にダブルベッドというびっくり部屋だった。なんか旅館の人が気を使ったのか、あるいは観光案内所のオヤジがアベックだと勘違いしてそういう旅館を紹介したのか、、、別の部屋を借りるお金もなかったので、仕方なかったが、、、
こぼれ話(2)
お寺が経営するYHに泊まったときの話。前のYHで知り合ったコとたまたま次のYHが同じで、確認の電話を入れた。いつもの通り「男1人、女1人」と。そのYHがらがらで俺等二人しかいなかった。俺は30畳はあるだろう和室に案内された。「豪華」にそのど真ん中に布団を敷いたりして喜んでいた。そこへペアレントさん(その寺の住職だろうな)がやってきて一言。「今日は他に誰もいないから、彼女と一緒に寝ても・い・い・よ」だと。彼女と勘違いしたのだろう。このエロ坊主が!と思いながらも、ちょっとだけドキドキしてしまった。
そんな、貧乏旅行も、卒業とともにしなくなった。YHの数も半分になったそうだし、YHの会員も最盛期の7分の1だそうだ。駅前にはYHと変わらない値段で泊まれるビジネスホテルとかが建つし、、、、また、国鉄もJRになり急行も無くなり、、、俺も車やバイク、飛行機や新幹線で移動するようになり、、、随分と変わってしまったものである。
「痛車」の記事から、妙な展開をしたが、昔を懐かしんでみた。
などと、「痛車」についてWikipediaなどをちらちら見ていたら、サブカルチャーのなかに「カニ族」というのが掲示してあった。また新しいのが出てきたのかなと思ったら、なんと俺のことだった!
「カニ族」とは、『大型リュックサックを負った旅装、およびそのような出で立ちの者たちを指した日本での俗称。』で、『1960年代後半から1970年代末期にかけ、登山者や、長期の低予算旅行をする若者に多く見られた。・・(Wikipedia)』
俺は、高校・大学の間、結構、貧乏旅行に出かけたものである。高校一年の時に海水浴に友達と泊りがけで行ったのが最初で、その時に初めてユースホステル(YH)というのに泊まった。当時(安全に、かつ)安く宿泊できる宿泊施設が少なかったこともあり、その後、頻繁に利用することとなる。
当時は学生ということもあり、金銭的に余裕がなく、移動もJR(当時は国鉄だな)やバスを利用したものだ。遠くへ行くにはどうしても国鉄を利用しなければならなかったが、当時、「ワイド周遊券」というのがあった。2週間だか20日間だか忘れたが、指定地域の『急行自由席』乗り放題であった。(当時は急行がたくさん走っていた。)これで目的地との往復と滞在地での足は確保できたのである。
時刻表と旅行ガイドブックとにらめっこしながら、道程を決め目的地のYHを予約し、、、、リュックサックに荷物を詰め込んで。もちろん、リュックサックは登山で使うような(昔使っていたような)横長のでかいやつである。
夜行の(寝台ではない)急行列車に乗り、目的地へ。例えば北海道。青函連絡船で函館へ。その時は宿泊時刻には早すぎたので、札幌までまた急行に揺られる。札幌郊外のYHに泊まる。翌日札幌観光。その日の夜に夜行に乗って、(宿泊代をセーブしつつ)、釧路あたりまでいく。・・・YHに泊まる・・・観光する・・・夜行に乗る・・・YHに泊まる・・・(宿泊代を浮かすために)無駄に乗車距離が長い、行ったり来たりの道筋を辿って、北海道を廻ったりしたものだ。
また、特に北海道では、ヒッチハイクなどもかなりやったと思う。ヒッチハイクを見込んでいたわけではなく、交通費を節約しようと、観光地などでバスにも乗らず、テクテク歩いていると、地元の人が「どこに行く? 乗っていくか?」と拾ってくれたのである。(今考えると見ず知らずの人の車に乗るなど無用心極まりないが、当時はそんな心配をしたことはなかった。)目的地まで送ってくれるばかりではなく、近所の観光名所なんかも案内してくれたり、挙句の果ては家で晩飯までご馳走になったこともある。なんともうれしい話だった。
Wikipediaなどを読んでみると、当時YHの絶世期だったようだ。確かにいたるところにYHはあったし、新築・新設情報なども頻繁に出ていた。新しいペンション風のYH、牧場の中のYH、お寺の宿坊のようなYH、民家の一部のYH、連れ込み旅館のようなYH、、、、今のように情報があふれていなかったこともあり、行ってみてのお楽しみでもあった。夜はペアレントさんやヘルパーさん、他のホステラーさんたちと交流会などもあり、色々情報交換などもした。(実は俺はこういうのが苦手だったのだが、回を重ねるうちに慣れてしまっていた。)ペアレントさんの人柄が結構でるので、当たり外れはあるのだが、そういう時はホステラーが逆に盛り上げたり。屈斜路湖の近くのYHではヘルパーにどうだと誘われて、グラグラとしてしまったりもしたことを覚えている。(もしそこでヘルパーを始めていたら俺の人生、ぜんぜん違うものになっていただろうな。)
こぼれ話(1)
同級のコと「カニ族」旅行に行ったときの話。ユースホステルがどうしても予約できない日があった。仕方なく駅前の観光案内所で安い旅館を紹介してもらった。YHのときと同じ要領で「男1人、女1人」と予約の電話をいれたのだった。なんとなく違和感のある電話対応だったのだが、泊まれるという安堵感で気にもしていなかった。だが、旅館について案内された部屋は、そのコと相部屋で、かつ妙にピンク色の照明の施された和室にダブルベッドというびっくり部屋だった。なんか旅館の人が気を使ったのか、あるいは観光案内所のオヤジがアベックだと勘違いしてそういう旅館を紹介したのか、、、別の部屋を借りるお金もなかったので、仕方なかったが、、、
こぼれ話(2)
お寺が経営するYHに泊まったときの話。前のYHで知り合ったコとたまたま次のYHが同じで、確認の電話を入れた。いつもの通り「男1人、女1人」と。そのYHがらがらで俺等二人しかいなかった。俺は30畳はあるだろう和室に案内された。「豪華」にそのど真ん中に布団を敷いたりして喜んでいた。そこへペアレントさん(その寺の住職だろうな)がやってきて一言。「今日は他に誰もいないから、彼女と一緒に寝ても・い・い・よ」だと。彼女と勘違いしたのだろう。このエロ坊主が!と思いながらも、ちょっとだけドキドキしてしまった。
そんな、貧乏旅行も、卒業とともにしなくなった。YHの数も半分になったそうだし、YHの会員も最盛期の7分の1だそうだ。駅前にはYHと変わらない値段で泊まれるビジネスホテルとかが建つし、、、、また、国鉄もJRになり急行も無くなり、、、俺も車やバイク、飛行機や新幹線で移動するようになり、、、随分と変わってしまったものである。
「痛車」の記事から、妙な展開をしたが、昔を懐かしんでみた。
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